両親は共働きでしたので、今でこそ当たり前ですがその当時では珍しく保育園に通っていました。朝は誰よりも早く来て、帰るときは1番遅く1人で家に帰り(親の迎え無し)、家に着いても親はまだ仕事から帰っていない、という生活をしていたせいか1人でいることに苦痛はなく、自分のことは自分でするという癖が今でもあります。
院長プロフィール


自分のことは自分でしていた幼少時代
全日本選手権やインターハイに出場した少年時代
とにかくパワーが有り余っていました。野球、サッカー、水泳などスポーツ大好き少年でした。勉強は残念ながら… でも小学校6年生までそろばんを続け、初段を取りましたので算数、数学は得意でした。
中学校では人生を変えるきっかけとなった恩師と出会い、陸上競技(砲丸投げ)を大学生まで続けました。そして全日本中学陸上選手権、インターハイ、全日本インカレ、全日本選手権に出場することができました。
はりやカイロプラクティックに出会った大学時代
友人たちは大学生活を楽しんでいましたが、私はほとんど合コンにも行かずに朝から晩まで7㎏の鉄球を投げ、200㎏のバーベルを担いでいました。
次第に練習量が増えてくるとケガも多くなり、砲丸を持つどころか走ることさえままならない状態まで追い込まれました。練習ができずに見学をしている、黙々と基礎トレーニングをしているむなしさは次第に陸上競技に対する情熱を失ってきました。
しかし先輩の紹介により鍼やカイロプラクティックに出会うことでけがを克服し、最後までやり抜くことができ、その後の人生を大きく変えるきっかけにもなりました。
特に感動したことが2つあります。
大学1年生の時に手首の腱鞘炎になり雑巾をしぼれない状態にまでなりました。そこで鍼と灸をしてもらうとその場ですぐに腕立て伏せができるほど痛みが消えました。
大学2年生の時は練習量を増やすとすぐに腰が痛くなり、休養と練習を繰り返すという時期がありました。
紹介されたカイロプラクティックで治療をしていただくと痛みがなくなり練習を再開することができました。
この2つの出来事は当院の原点です。
不妊治療で結果を出していた修業時代
多くの方を治療していくと更に状態の悪い人が来院され、その方を治すともっと悪い人が来てと、試練のような日々が続いていました。そんなある日、不妊症の方が噂で「鍼をすると妊娠できる体になる」と聞いて来院されました。
確かに鍼は婦人科疾患にはとても効くので不妊症にもいいのかなと思い治療をしたのが不妊治療の始まりでした。
とにかく色々な文献を読みあさり、試行錯誤で1年後に妊娠。あのときの感動は今でも忘れません。未熟な技術、知識不足の私に1年間も続けてくださった患者さんに感謝するとともに「これではダメだ」と思い、恩師に弟子入りし技術を学ぶことになりました。
独立して東京(府中)で開業をしました
とにかく失敗の連続。
「今までやってきたことはなんだったんだ」と自暴自棄になり、下働きと経営者になるのとでは大違いと気づきました。しかしそんな中でも患者さんの助けもあって次第に安定してきました。
しかし開業2年目、父が倒れてしまい、私は1人っ子で母は病弱。伊豆に帰ることを決意しました。
地元に戻り伊東市で開業しました
この仕事をしてからは毎日が患者さんとの真剣勝負。なかなか治せなかったり、生活習慣を改善することの重要性などの説明も上手くできずに落ち込んだこともありました。
ただ、ここまでこれたのはケガで悩み、もがいた学生時代があったからで、自分と同じように痛みで苦しんでいる人達を助けたいという強い熱意があったからこそ続けられたのだと思います。
開業にあたって多くの方々の助けをいただきこの場を借りてお礼申し上げます。
またホームページ作成、撮影でもご協力いただきありがとうございます。ほかにも東京で長い間、施術してきた患者さんには大変感謝しております。
初心を忘れずに皆様の健康と快適な生活を提供できますよう日々努力を重ね頑張ります。